目次ほたる 「記憶のはしっこ」#4
7 Photosモデル・ライターとして活動する19歳、目次ほたるが写真を通して、忘れたくない日々の小さな記憶をつなぐ連載「記憶のはしっこ」の4回目です。
目次ほたる 「記憶のはしっこ」#4
7 Photosモデル・ライターとして活動する19歳、目次ほたるが写真を通して、忘れたくない日々の小さな記憶をつなぐ連載「記憶のはしっこ」の4回目です。
大石プラムを食べた。
名前に「大石」なんてついてるものだから、大石さんが栽培したプラムだと思っていたのだけれど、どうやら、そういう品種名らしい。Googleにそのことを教えてもらうまで、私は大石プラムを食べる度に会ったこともない「大石さん」の顔を思い浮かべていた。
きっと顔にシワをたくさん刻んだおじいちゃんだ。いつも優しい笑顔を浮かべているが、プラムのことになると熱くなるタイプ。好きな食べ物は奥さんの作る肉じゃがと卵焼き。趣味はたまに友人と行く釣りとゴルフ。どちらも、あんまり上手じゃない。両親が農業を営んでいたことから、大石さん本人もその農家を継いだ。優しいが強かな奥さんに支えられ、子どもは東京に出て、立派に働いている。みたいな。
私の中のベスト・オブ・おじいちゃんを勝手に大石さんに投影していたためか、ただの品種名と聞いたとき、ちょっとがっかりした。ちなみに大石さんの下の名前は、「剛」か「達郎」あたりだと思う。まあ、そもそも存在しないのだけど。
私の好きな文章の中に、茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩がある。戦時の世を生き抜いた彼女が生み出した、確かに力強く、そしてどこか優しさを感じさせる言葉はいつも私に勇気を与えてくれる。あの詩を読むと、彼女に「しっかりしろ」と、肩を叩かれている気持ちになるのだ。
よく「ペンは剣よりも強し」(この場合、言論は武力に勝るという解釈をしている)というが、私にとって、言葉は剣というよりも「盾」に近い。荒波に立ち向かおうとするとき、懐にしまった言葉は何よりも私を守ってくれる。
道端に猫がいた。水色の目をしていた。
猫はどこか弱っている様子だった。私が近づいても、逃げようとしない。
ただ、そこに伏せている猫をどうしても撮りたくなった。
「ちょっと失礼しますね」
できるだけ丁寧に一言声をかけて、さっきよりもそばに寄ると、猫がこちらを見据える。
私を映すのは水面。中央に鎮座する黒い瞳。そこには、なにかがあるような気がした。
猫がすくりと立ち上がった。山百合を思わせる、勇ましく、美しい姿だった。
そういえば、先日、弊Twitterアカウントで文章のネタを募集した。この連載を続けていくにあたって、もっとも苦労するのが、この「書く」という部分だからだ。だって、私の最近の生活と言えば、起きる・食事をする・仕事の執筆作業をする・家事をする・食事をする・寝る、の繰り返し。ここに買い物にいったり、写真を撮ることが加わったりする日もあるが、もともと在宅仕事が主なので、家から一歩も出ない日すらある。
特に代わり映えしない生活を送る私に、毎回面白おかしいことが起こるはずがないのだ。連載1回目、「記憶のはしっこ#1」を書き終えた瞬間から、私はあと数回でネタ切れすることを確信した。せっかくだからSNSのフォロワーの皆さんに力を借りようと募集したところ、好き勝手……いや、思い思いのメッセージが計20件くらい届いた。本当にありがとうございます。
というわけで、次回からは頂いた質問やテーマを1つずつ拝借していこうと思う今日この頃。(まだまだ募集しています、どうかお願いします)
私の父は、私が幼い頃、ハーレーに乗っていた。
ハーレーというのは、ハーレーダビッドソンというメーカーが出しているバイクを指す。とにかくゴツくて大きな車体が幼心にも印象的だった。父が乗っていたのは、ブラックとシルバーを基調としたカラーリングの、数あるハーレーの中でも大型に分類されるものだったと思う。メカニカルな構造を剥き出しにした車体は、今考えても圧巻のデザインだった。
父は身長が185cmくらいある、なかなかの大男だ。そんな父が、長い足でハーレーに乗る姿は、まるで戦国時代の武士が戦に向かう間際に馬へ跨るような力強さがあって、けっこう好きだった。街中で大型バイクを見かけると、いつも思い出す記憶だ。
(全国のお父さんたちへ。子どもは父親のカッコいい姿を、例えそれが幼い頃の記憶でも、案外ずっと覚えていたりするものです)
月に叢雲、花に風、歩く姿は百合の花。……あれ、違うな。
撮影・文 目次ほたる