目次ほたる 「記憶のはしっこ」#5
8 Photosモデル・ライターとして活動する19歳、目次ほたるが写真を通して、忘れたくない日々の小さな記憶をつなぐ連載「記憶のはしっこ」の5回目です。
目次ほたる 「記憶のはしっこ」#5
8 Photosモデル・ライターとして活動する19歳、目次ほたるが写真を通して、忘れたくない日々の小さな記憶をつなぐ連載「記憶のはしっこ」の5回目です。
ご近所さんからスイカのお裾分けを頂いたので、家に持って帰って、家族と一緒にかぶりつくことにした。
スイカはかなり好きだ。だって、水々しくて、甘くて、しかも真っ赤で、いかにも夏という風情を感じさせる。しかし、私が喜んでムシャムシャと食べていると、家族が不思議そうにこちらを覗き込んできた。なんだと思って聞いてみると、
「あんた、種を出さないの?」と一言。
びっくりした。私はスイカの種は飲み込むものだと思っていたからだ。
(そうか、みんな種を吐き出すのか)
と思って、仕方なく真似をして吐き出してみるが、これがめちゃくちゃ面倒臭い。
私は天性の横着者なので、一口食べるだけで、いちいち種を出さなきゃいけない意味がよくわからなかったのだ。飲み込んだら楽なのに。
それに、種が皿に溜まるたびに、私の保有する怠惰ポイントが下がってしまう気がする。
明らかに面倒くさがる私を見て、「あんた、それじゃデートのとき引かれるよ」と心配そうな顔をされた。
負けじと、「でも、苺やキウイは種ごと食べるじゃない。そもそも、4000年前のエジプトではスイカは種のほうを食べてたらしいよ」と反論すると、「なんだ、その屁理屈は。あんたはエジプト人か」と呆れられた。一理ある。というか、家族の意見が正しい。
けれど、もしも、夏にデートをするなら、一緒にスイカの種を飲み込んでくれる人を選ぼうと思った。
知人と話していたとき、間違って「365度の空」という表現をしてしまった。
(5度はどこからやってきたんじゃ)と思ったけれど、
考えようによっては、私は5度分の宇宙を生み出した。いわば、創造主だ。
夏が生む自然の撮り方。
鬱蒼と腕を広げる緑が、何者をも入り込むことを許さないと示すばかりの密やかな恐ろしさを感じさせる。だから、御簾から覗き込むようにして、撮らなければならない。
永遠にも思えるような長い梅雨が終わった途端、焼けついてしまいそうな猛暑が全速力で訪れた。
私はこの季節になると、よくミミズのことを考える。
ミミズというのは、あのミミズだ。茶黒で、水分を含んでニュルニュルとした、アイツ。
聞くところによると、あれらは雌雄同体といって、オスメスの区別がない。つまり、どちらにでもなれるらしい。
それを知ったとき、なんて自由な生き物なんだろうと思った。きっと私よりもずっと自由だ。
しかし、そんなすごい生物が、夏になるとアスファルトの上で干からびている。カラカラになった胴体を、力なく揺らしながら、ゆっくりと死へ向かっていく。その道のりを、私が救えるわけでもなく、見下げているのだ。しかも、さほどの同情心も持たずに。
こんなに不自由な生き物が、こんなに自由な生き物の死に目に、しかも頻繁に遭遇するのだ。
私はそれを見るたびに、なんだか、説明できない変な気持ちの中にとり残される。
アイスコーヒーを飲んで知れるのは、一生分の記憶の苦さ。
ヒトの心は丸いので、色々な角度から見ないと、本当のところはわからないらしい。
最近、少しずつ移動する機会が増えてきたので、電車の中から写真を撮ってみることにした。高速で淡々と移り変わる景色でも、案外ちゃんと撮れるみたい。
(最近のカメラはスゴいんだなぁ)と新鮮な驚きを味わいつつ、シャッターを切っていく。私は、場所がどこであろうと、「窓から見る景色」というものが好きだ。
内と外を隔てる一枚のガラス越しから覗く景色は、普段見るそれとは少し面持ちが違っている。それも、なんだか一つの映像を観ているような気分になるのだ。
(あなたの好きな景色の見える窓は、どの窓ですか?)
撮影・文 目次ほたる