目次ほたる 「記憶のはしっこ」#8
8 Photosモデル・ライターとして活動する20歳、目次ほたるが写真を通して、忘れたくない日々の小さな記憶をつなぐ連載「記憶のはしっこ」の8回目です。
目次ほたる 「記憶のはしっこ」#8
8 Photosモデル・ライターとして活動する20歳、目次ほたるが写真を通して、忘れたくない日々の小さな記憶をつなぐ連載「記憶のはしっこ」の8回目です。
最近うまくいかないことが多くて、落ち込むことが増えている。
この前も、人に向けた些細な物言いが、もしかしたら相手に失礼だったのではないかと思い出し、ここ数日、罪悪感でいっぱいになっていた。
こういうとき、私は心を落ち着けるために、決まって近所の神社へお参りに行く。
無宗教だから信仰心なるものは持っていないのだけど、やはり誰かが大切に守っている場所や建物に訪れると、心が落ち着くのだ。
鳥居をくぐって、手を清め、賽銭箱の前で手を合わせる。ここの神社には、神様を祀った池が隣にあって、一通りのお参りを済ませたあとは、その池の畔でぼーっとする。ここまでが私のお参り様式だ。
その日も、お参りを終え、緑色の池を見つめながら憂鬱に苛まれていた。
(私はどうしてこんなに要領が悪くて、ダメなんだろう……)
濁った水のなかで優雅に泳ぐ鯉を視線で追っていると、どこからか「にゃあ」と小さな声が聞こえた。この声は、猫だ。どこかに猫がいる。私は無類の猫好きだ。嬉しくなって、とっさに辺りを見回した。目を凝らすけれど、どこにもそれらしい姿は見当たらない。その場から離れて、探しまわっていると、池の近くにある小さな祠に何やら茶色くてモフッとした姿が見えた。
もう少し近づいてみると、その毛玉はエメラルドグリーンの瞳で、こちらを睨んでくる。かなり警戒されているようだ。
「猫ちゃん、こんにちは。可愛いですね」
挨拶をしないのも失礼だと思って、驚かせないように話しかける。すると、こちらをチラリと見た後、すっかり警戒を解いたようで、「もうどうでもよい」というようにそっぽを向いてしまった。
「猫ちゃん、よかったらコッチを向いてくれませんか」
せっかくなので撮らせてもらおうと、カメラを向けながら話しかけてみるが、完全無視。私は猫にまで無視されるのか。
「綺麗な横顔ですね」
ご機嫌を取ろうと試みるが、変わらない様子で明後日の方向を向いている。諦めて、横顔だけでも撮らせてもらうことにした。
何もうまくいかないし、猫にまで無視される。だけど、まあそれも悪くないかと、一人で笑ってしまった。
夏が終わりを迎えようとしている。
暑さが少しずつ和らぎ、けたたましく鳴いていた蝉の声には、どこか物悲しさが含まれるようになった。あんなに暑くて嫌だったのに、夏の終わりは、他のどの季節の終わりよりも寂しさを感じる。どうしてだろう。
理由はわからないけれど、夏のような人のことなら、よく知っているような気がした。
気がつくと、カーブミラーばかり撮っていることに気がつく。
街の真ん中に、突然丸い鏡が現れるのが、よくよく考えると異質で面白いのだ。
人によって、「これはどうしても撮ってしまう」というものが、やっぱりあるのだろうか。
夜中になると、目も当てられないような恥ずかしい文章を書いてしまい、翌朝読み返すと羞恥心で吐きそうになることがある。
きっと夜は人の心を狂わせるのだ。じゃないとあんなに恥ずかしい文章は書けない。
私は、これを「真夜中のラブレター症候群」(夜中に書いたラブレターは朝に読むと恥ずかしくて、とてもじゃないけど送れない、という意味)と呼ぶことにした。
病を発症しないように、文章はできるだけ日中に書くようにしているが、なぜか日が暮れると筆が超速で走り始めるのだ。意味がわからない。
こうして私は自前のスマートフォンの中で、いたたまれない文章を量産している。
写真を撮ると見えてくる世界の美しさは、きっと写真になる前から存在していたのだと考えると、この上なく嬉しくなる。
私が出会った中でも、特に偉い人が、「過去の自分は他人だ」と言っていた。
過去の自分が本当に他人になるのだとしたら、むかしの、あの恥ずかしい自分ともおさらばできるかも……と思いつつ、全員他人にするにはちょっと気が合いすぎる他人だなとも思う。
もしも、過去の自分が皆、いっせいに目の前に現れたら、きっと良い友人になれるだろう。お互いの凸凹した部分を、一緒にいたら埋め合えるかもしれない。
母に聞いてみた。
「幸せって、なんだろうね」
母が答える。
「これが、ずっと続いてほしいって思えることだよ」
「それなら、私たちは幸せかもね」
「そうかもしれないね」
もうすっかり冷めてしまった紅茶を、ゆっくり飲み干した。
撮影・文 目次ほたる