目次ほたる 「記憶のはしっこ」#10
8 Photosモデル・ライターとして活動する20歳、目次ほたるが写真を通して、忘れたくない日々の小さな記憶をつなぐ連載「記憶のはしっこ」の10回目です。
目次ほたる 「記憶のはしっこ」#10
8 Photosモデル・ライターとして活動する20歳、目次ほたるが写真を通して、忘れたくない日々の小さな記憶をつなぐ連載「記憶のはしっこ」の10回目です。
この連載も、ついに10回目を迎えた。
ちゃんと写真を撮るのも、連載をするのも初めてで(しかも週間で!)、最初はどうなることやらと思っていたけれど、なんとかやっている。
最近、なんだか不思議な話なんだけれど、私はこの連載が始まるより、ずっと前から、写真を撮っていたんじゃないかという錯覚に陥ることがある。
それくらい自分の生活に、「撮る」ことが柔らかく入り込んできてくれた。
むしろ、どうしてもっと早くカメラを持っていなかったんだろうと思う。
後悔は無いけれど、写真が好きな人なら、「もっと早く初めていればよかった」なんて、一度は思ったことがあるんじゃないかな、と。
私に与えられた、とっても不思議でとっても幸せなものに、これからも、もう少しお付き合い頂けたら幸いです。
町中を歩くのは面白い。というのも、変なものが転がっていたりする。
これはこの前、東京・新橋に突如として現れた、やかん。
「突如として」なんて、わざとらしい言葉を使ったけれど、居酒屋さんがただ開店の支度をしていただけだったのだと思う。
でも、アスファルトの道にやかんが置かれているのが、ちょっと面白かった。
先日、私の大好きな写真家さんである、濱田英明さんのコラムを読んだ。
文章中に、「撮ること、それは『世界を見つける』ということなのだと思います。」と書かれていて、とても腑に落ちた。私ももっと世界を見つけてみたい。
(私が見つけられた世界は、映画の一場面のような綺麗な記憶でもなんでもなく、新橋の古めかしい、やかんだったけれど)
秋風を感じるようになってきた。
といっても、私は夏の風と秋の風の区別の仕方はわからない。
それでも、「あ、これは秋の風」だ、と感じる瞬間あるのだから、余計にわからないな、と思う。
そういえば、この前、秋にも梅雨のように雨がたくさん降る時期があると、初めて知った。「秋霖」というらしい。なんだか雨がよく降るな、と思っていたら、物知りな知人が教えてくれたのだ。
私はもう20年も生きたのだから、季節というのを、全て知っていると勘違いしていたから、ちょっと恥ずかしかった。
季節ひとつ取っても、「全て知っている」なんてこと、無いんだな。
それにしても、過ごしやすい季節になった。
「撮りたいな」と思った瞬間を、迷わない、必ず撮る。
というのが、けっこう大事なのだと思い始めている。
庭に遊びにくる野良猫へ、餌をやりたいのをグッと我慢する瞬間、私はわずかに大人になる。
先日、おやつに食べたたまごボーロの袋に、
「このお菓子にはありがとうを100万回聞かせてあります」
と書いてあった。次の瞬間、私はたまごボーロの立場になって、冷や汗をかいた。
ただでさえ図らずもたまごボーロとして加工されてしまった上に、
ありがとうを100万回も聞かされたら、私はどうなってしまうだろう。
自然のなかにいると、自分がいかに不自然だったかがわかる。
撮影・文 目次ほたる