目次ほたる 「記憶のはしっこ」#27
7 Photosモデル・ライターとして活動する20歳、目次ほたるが写真を通して、忘れたくない日々の小さな記憶をつなぐ連載「記憶のはしっこ」の27回目です。
目次ほたる 「記憶のはしっこ」#27
7 Photosモデル・ライターとして活動する20歳、目次ほたるが写真を通して、忘れたくない日々の小さな記憶をつなぐ連載「記憶のはしっこ」の27回目です。
去年から始めた私の歯列矯正が、終わりを迎えようとしている。
小さな頃から歯並びが悪かったために、噛み合わせの改善も兼ねて、ちょうど一年ほど前から歯列矯正をしていたのだ。
金属とゴムで出来た器具を歯の表面に装着するタイプの、いわゆるワイヤー矯正と呼ばれるスタンダードな矯正をしていて、毎月、器具の調整のために歯医者さんに通っていたのだけれど、それがこの春にやっと取れるらしい。
歯医者さんは「桜が咲く頃までには外してあげられるよ」と優しく説明してくれた。
が、屁理屈な私はこの「桜が咲く頃」という説明が引っかかって仕方がない。
だって、「桜」と一つとってもどれだけ種類があるだろうか。染井吉野や寒緋桜、河津桜に大島桜、その他数々。これだけ種類があるうちの、どの桜が咲く頃に私のワイヤーが外れるのか特定できない。
本州で最も早く咲く河津桜と、最も遅く咲く千島桜では咲くまでの時間に、かなりの差があるじゃないか、なんて偏屈なことばかり考えてしまうのだ。
そんなことを毎度考えながら歯医者に行くものの、偏屈者だと思われたくない私は、ニコニコと笑いながら何も聞かずに帰っていくのだった。
この写真は歯医者さんの帰り道で撮った、おひさまの光を満喫する犬だ。
椿の木がもう美しい花を咲かせていた。
私は椿が花のなかで一番好きだ。
咲く頃の上品に赤く佇む姿とは裏腹に、朽ちるときには表情を変えることなく、ポトリと頭を落とす潔さに、どこか風情を感じる。
椿の木と言えば、大人の背丈くらいの比較的小さなものを想像していたのだけれど、この木は2階建ての家くらいの高さがあって驚いた。散る頃にもう一度見に行きたい。
題名「檻の中の夢」
写真展を見るために、神奈川県青葉区にある「横浜市民ギャラリーあざみ野」に行ってきた。
というのも、この連載を始める以前、私は写真展なるものにほとんど行ったことがなく、勉強のためにも行かねばと思ったのだ。
その日、ギャラリーでは「とどまってみえるもの」と「写真とプリント」の2つの企画展が開催されており、まずは「とどまってみえるもの」から見ていくことにした。
そこでは7人の写真家による作品が展示されており、技術が日々進歩する現代における、写真表現のあり方について探る、というような趣旨で作品が作られていた。
個人的な見た感想を正直に言うと、「よくわからなかった」が一番最初に出てくる。
しかし、それらの作品が独特の異彩を放っているのは素人目で見ても感じ取れたし、並ぶ画面には純粋に圧倒された。
そもそも「現代の写真表現」についても「過去の写真表現」についても知らない私には難易度が高かったか、と思っていたが、この後の展示を見たことで、現代の写真やカメラがどんなものなのかが少し分かった気がした。
そんなヒントをくれたのが、館内で同時に開催されていた企画展「写真とプリント」だった。この企画展は、写真にあるような古い撮影機材やプリント写真の展示とともに、写真技術やカメラ技術の進歩の歴史を辿っていくというものだった。
過去の技術者たちが色々な材料や方法を駆使して作ってきた写真たちを見ていて、写真やカメラは現在に至るまで、恐ろしいほどに進化を遂げているのだとわかった。
1826年、アスファルトを感光材料として利用し、人類史上初の写真を撮ったというのが写真の始まりだと知って、たった200年弱でアスファルトがデジタル写真に変わるというのだから、「現在の写真のあり方」を常に見つめていくべき理由もなんとなく理解出来る気がする。
昔のカメラやフィルムの箱のデザインがとても可愛かった。
ボタンを押すだけで、誰にでも簡単に高画質の写真を撮れるようになった現代。
そんな時代に生まれた私は、とても幸せなんだと改めて思わせてくれた展示だった。
これからも色んな写真展に行ってみたい。
撮影・文 目次ほたる