目次ほたる 「記憶のはしっこ」#28
7 Photosモデル・ライターとして活動する20歳、目次ほたるが写真を通して、忘れたくない日々の小さな記憶をつなぐ連載「記憶のはしっこ」の28回目です。
目次ほたる 「記憶のはしっこ」#28
7 Photosモデル・ライターとして活動する20歳、目次ほたるが写真を通して、忘れたくない日々の小さな記憶をつなぐ連載「記憶のはしっこ」の28回目です。
(撮影・Canon EOS Kiss M2 )
最近、短歌を作ってみたくて、短歌について勉強を始めた。
短歌は五七五七七で構成される一文の詩で、そのたった31文字がどうにも心を打つときがあると知って、自分でも作ってみたくなったのだ。
なので、短歌について知るために歌集や短歌の指南書をいくつか買ってみて、絶賛練習中。なかなか上手くできなくて、苦戦している。
そういえば、買った本の中に「天才による凡人のための短歌教室(著・木下龍也)」というのがあった。
この本には、短歌を生み出すための練習方法やコツが書かれていて、本の最初のほうに印象に残る言葉を見つけた。それは、短歌初心者への助言だった。
「短歌を始めたばかりのあなたが考えるべきは『短歌』であって、『短歌について』ではない」
この一行を読んだとき、これは写真でも言えることだと思ったのだ。
私はよくどんな写真が人の心を打つかとか、写真とはどんなものかについてを考えて思い悩んだりするのだけれど、そんなことをしていないで、もっと写真自体と向き合うべきだったのかもしれない。
新たな分野へ足を踏み出そうとすると、まったく関係ない別の分野のまだ閉じていた道が開けるのはよくあることで、これが嬉しくて面白い。
(撮影・Canon EOS Kiss M2 )
町を歩いていると、祠や神社の前で、ふと立ち止まって礼をする人をよく見かける。
お賽銭を入れるわけでもなく、手を合わせて願い事をするわけでもなく、ただ深々とお辞儀をして去っていく人の姿を初めて見たときはなんだかビックリした記憶がある。
ビックリするというか、拍子抜けしたというか、ちょっとしたカルチャーショックに襲われたのだ。
というのも、当時の私にとって神社やお寺は「初詣など特別なときに、お賽銭を入れて、願い事をしにいく場所」であって、日常的に簡易なお参りをするような発想がなかったのだ。
もともと信心深いほうではないけれど、その光景を見てからというもの、鳥居を見かけたら、真似をして軽く礼をするようにしている。
(撮影・Canon EOS Kiss M2 )
夏の風が歩いてきました。
(撮影・Canon EOS Kiss M2 )
続きを買うのをやめた漫画とか、無くした靴下の片方とか、なぜか捨ててしまったあの人からの手紙とか。日常の余白は突然できて、すぐには埋まらない。
(撮影・FUJIFILM X-T30)
こちらの猫さんが我が家に来て、早3ヶ月が経とうとしている。
来たときは手乗りサイズの赤ちゃんだったのに、日に日に大きくなって、顔立ちも大人っぽくなるのが、嬉しくて寂しい。そんなに早く大きくならなくてもいいのに。
私もこんな気持ちで育てられたのかと思うと、ちょっと感慨深くもある。
(撮影・iPhone XS Max)
心のなか。
撮影・文 目次ほたる