目次ほたる 「記憶のはしっこ」#32
7 Photosモデル・ライターとして活動する20歳、目次ほたるが写真を通して、忘れたくない日々の小さな記憶をつなぐ連載「記憶のはしっこ」の32回目です。
目次ほたる 「記憶のはしっこ」#32
7 Photosモデル・ライターとして活動する20歳、目次ほたるが写真を通して、忘れたくない日々の小さな記憶をつなぐ連載「記憶のはしっこ」の32回目です。
この季節になると、日本に暮らす人々の多くが今か今かと待ち望む日がある。
そう、桜の開花日だ。ニュースでは全国の桜開花予想が伝えられ、SNSでも春の気配を感じ取った人々がどこかソワソワしてくる、この頃。
私も例に漏れず、ここ数日間はいつ満開になるだろうかと、しきりにカレンダーを辿ったり、近所の桜の木についた蕾の様子を観察していた。
そして、家の一番近くの桜が満開になっているのを見つけて、「やっと撮りに行けるぞ」と心を踊らせながら、桜並木が有名な川へ撮影に訪れたのだ。
目的地に到着して、私はその美しい光景に思わず、「わぁ!」と声を上げた。
太陽の光を反射して輝く川のほとりで、薄桃色の花びらを満開にたたえた木々が、両腕を悠然と伸ばし、空を仰いでいる。その枝と枝の間をウグイスが伝い、スズメが伝い、カラスが伝い。
ひとたび暖かい風が吹けば、その風の流れを縫うように、桜特有の甘酸っぱい香りが広がるのだ。
優しく揺れる木々を見上げながら、人々は「キレイだねぇ」とため息にも似た呟きをもらす。
人も動物も植物も、その場のすべてが、待ちに待った春の訪れを祝福し、分かち合っているようだった。
桜並木から少し離れたところに、一際大きな木があった。
溢れるように花を咲かせるその木を、お花見に訪れた人々が囲んでいた。
そういえば、昔は家族とよくお花見に行っていたのを思い出した。
イベント事とお酒が好きだった父は、仲間を大勢集めて、毎年のようにお花見会を催していたのだ。
ビニールシートの上でお酒を飲み、笑い、語らう父たちの姿は、「花より団子」というよりか「花より酒」という感じだったけれど、そんな大勢の大人たちを長い枝ですっぽりと囲んでしまう大きく、そして懐の深い桜の木の様子を思い出すと、昔から人々が桜を愛している理由がわかる気がした。
もう家族とお花見をすることはなくなってしまったけれど、今は家族以外にも、一緒に花を見たいと思う相手が頭に浮かぶようになった。
家族の隣で桜を見ていたあの日から数年間のうちに、私にとってそれだけ大事な人が増えたということなのだろう。
こんなときに頭に浮かぶ人たちを、これからも大切にしていきたい。
風に吹かれ落ちゆく花びらを見つめながら、ぼんやりと考えていた。
桜が満開に咲く日を見られるのは、1年に数日しかない。
咲き乱れる花々が、散っていく運命を思うと、儚く感じる。
けれど、短い期間だからこそ、その姿を一時でも眺めたいと願うのだろう。
そうして、それぞれが想う、共に桜を見たい相手との時間が重なるのだ。
共に花を愛でたいと思う気持ちに、あなたなら、何と名前をつけるだろうか。
撮影・文 目次ほたる