目次ほたる 「記憶のはしっこ」#41
8 Photosモデル・ライターとして活動する20歳、目次ほたるが写真を通して、忘れたくない日々の小さな記憶をつなぐ連載「記憶のはしっこ」の41回目です。
目次ほたる 「記憶のはしっこ」#41
8 Photosモデル・ライターとして活動する20歳、目次ほたるが写真を通して、忘れたくない日々の小さな記憶をつなぐ連載「記憶のはしっこ」の41回目です。
久しぶりに実家に置いてある荷物を整理していると、引き出しからCanon EOS 750QDを見つけ出した。
Canon EOS 750QDは、一眼レフのフィルムカメラで、シャッターボタンを押すだけでほぼ全ての設定をカメラ任せで撮影できる優れものだ。
手軽に撮影できる良いカメラなのだけれど、私は長い間引き出しにしまい込んでしまっていたらしい。
このカメラは、昔カメラ好きの知人から、「使っていないから」と譲り受けたものだった。
その人は、カメラの知識が疎い私に、「写真を撮ってみたら?」と言って、カメラ本体と共に、フィルムと電池、そしてレンズを付けて譲ってくれたのだ。
「こんなところにあったか〜」
そう思って、私は引き出しから取り出したカメラの状態を確認する。
暗い引き出しの中にあったからか、ホコリも付いておらず、傷やアタリもない、良好な状態。電池を入れ替えれば使えそうだったので、すぐにネットで専用の電池を注文した。
実は、このカメラは譲ってもらったのはいいものの、なかなか使う機会がなく、眠らせてしまっていたのだ。それが、申し訳なかった。
というのも、当時は今ほどカメラへの関心が強くなく、すでにスマホカメラが台頭していたのも相まって、手間がかかるフィルムカメラを使うのに積極的にはなれなかったのだ。
「今ならちゃんと使ってあげられるな」
今はそう思えるのが、なんだか嬉しかった。
さて、届いた電池を入れて、試しにシャッターボタンや設定をいじってみると、思ったよりスムーズに使えた。見た目が綺麗なだけでなく、中身も壊れていなかったことに感動した。
今のカメラに比べると、AFはちょっと迷い気味だが、それはそれで可愛らしさを感じる。
ずいぶんと長い間、眠らせたままだったのだ。
たくさん使うために、お気に入りのフィルムである「FUJIFILM 業務用フィルム ISO100」を詰め込んで、いつも使っているカバンに入れて、常に持ち歩くことにした。
普段は、オシャレな見た目や、「フィルムカメラを使っているっぽさ」を重視して、Konica C35やNikon F2などクラシカルなフィルムカメラを愛用している。
だから、良い意味で無骨さが感じられるCanon EOS 750QDは自分には合っていないかなと思っていた。
しかし、街中で使ってみると、これがかなり撮影が捗るのだ。
なにせ、撮りやすい。シャッターを半押しすれば、カメラ側が全ての撮影設定を決めてくれて、そのまま全押しで撮影完了。
デジタルカメラの様に、テクニック要らずでどんどん撮影できてしまうのだ。
Nikon F2のように、フルマニュアルのフィルムカメラも楽しいけれど、このくらい気楽に撮影できるカメラは日常的に使いやすい。
「今まであまり使ってあげられなかったのが、もったいなかったな」
ふと、そう思いそうになったが、たぶんそうじゃない。
人には道具を使いこなせる時期があって、その時期はその人それぞれ違う。
だから、私が今このカメラを大事に使えている事実は間違っていたわけではないし、おそらくこのカメラと新しく出会いなおすチャンスに巡り会えたのだと思う。
それもこれも、このカメラと出会うきっかけをくれた、知人のおかげだ。シャッターを切りながら、改めて感謝した。
写真は、撮ることで記憶を思い出させてくれるから、過去との通信手段になりうると思っていた。けれど、カメラ自体も人と人とを繋ぐ架け橋となるのだと思うと、やっぱり「撮る」ってすごい。
最後に、このカメラで撮影させてもらった友人のことみさん。知的で笑顔が素敵な彼女とも、写真を起点に縁が繋がった。
これからもきっと沢山の縁が繋がると思うと、楽しみで仕方がないのだ。
ことみさんのTwitterはこちら→https://twitter.com/KOTOMI_tama
撮影・文 目次ほたる