vol.30「もし世界からお金という概念がなくなったとして」
8 Photos女優・カメラマンとして活動する彩雪が、日常で見つけたドキドキを写真を通してお届けする連載、30回目は「もし世界からお金という概念がなくなったとして」です。
vol.30「もし世界からお金という概念がなくなったとして」
8 Photos女優・カメラマンとして活動する彩雪が、日常で見つけたドキドキを写真を通してお届けする連載、30回目は「もし世界からお金という概念がなくなったとして」です。
先日、とても親しい友だちとご飯を食べに行ったとき「そのお店に一緒に行ったことがあるかどうか」でちょっとした口論になった。
わたしは「一緒に行ったことはない」と主張した。
友だちは「一緒に来て窓際の席に座った」と主張した。
わたしたちはその日、実際にそのお店でご飯を食べたのだが、全く記憶にない。
それでもわたしたちの主張はお互いに変わらない。
写真には残っていない。
だから事実はわからない。
確かにわたしたちはこの数年の間にかなりたくさんの場所に一緒に行っている。でもさすがにうろ覚えさえしていないなんてことあるのだろうか。
今日、2022年6月14日、写真を一枚も撮らなかった。今日、2022年6月14日、誰と一緒に過ごし、何を食べ、何をしたか、思い出す日はくるのだろうか。そして思い出そうとしたとき、思い出せるのだろうか。
わたしは過去のことを思い出すときに、そのときに撮った写真を思い出していることを痛感した。
そうそう、そのお店でわたしたちはこんな話をした。
『なにをしているときが1番すき?』
わたしは、
『バスケをしてるとき』
『演じているとき』
『映画をみているとき』
この順番で無意識に間を取りつつ答えた。
1番は決められなかった。なんならもっとたくさん言えた。とても幸せなことだと思う。もし世界からお金という概念がなくなって、なんでも好きなことをやって生きていって良いとして、それでもやりたいこと、それは紛れもなく好きなことだと思う。
ここでわたしの中に『写真を撮っているとき』という項目は出てこなかった。
過去のわたしならきっと真っ先にこれが出てきただろう。
今のわたしにとってはあまりにも生活の一部で、特別なことではなかった。
今はもはや『撮りたい』と強く思うよりも前に撮っている。
それはおそらく携帯のカメラの性能がここ何年かでとんでもなく上がったからだろう。
たまにカメラを持って出かけると何倍も楽しくなる。
写真を撮ろうという意思をもって外に出るとすべてが最高の被写体に見えるからだ。
その気持ちをこの会話の中で思い出した。
今週は小さいカメラをもって生活しようと思う。
毎日をもうちょこっと楽しくさせる方法を知っているわたしはとってもラッキーだ。
そしてこれを読んでくれたみなさんも、もうきっと気づいているだろう。
撮影・文 彩雪