vol.31 高校数学教師をやめて俳優,カメラマンになった理由
14 Photos俳優・カメラマンとして活動する彩雪が、日常で見つけたドキドキを写真を通してお届けする連載、31回目は「高校数学教師をやめて俳優,カメラマンになった理由」です。
vol.31 高校数学教師をやめて俳優,カメラマンになった理由
14 Photos俳優・カメラマンとして活動する彩雪が、日常で見つけたドキドキを写真を通してお届けする連載、31回目は「高校数学教師をやめて俳優,カメラマンになった理由」です。
このコラムの連載をもたせていただいて半年以上過ぎた。
今回は今更ながらわたしがカメラマンになったきっかけについて書きたいと思う。
タイトルの通り、わたしは大学を卒業後、1年間高校数学の教師をしていました。担任も部活ももっていて、それはもう時間に追われていましたが、充実していました。
当時のことはここで多くは語りませんが、学校生活は楽しかったです。大変なことは絶えずあり、様々な感情を抱きましたが、生徒のことは大好きでした。毎日めちゃくちゃ笑いました。出勤最終日に、人生で一番泣きました。 クラスのみんなにはその子のイメージに合わせて、自分の撮った写真とメッセージを送りました。
6年経った今でも、当時の生徒から連絡が来ることや、会いにきてくれる子もいます。それが嬉しくて嬉しくて仕方ありません。そのときによく、最後に贈った写真の話になります。未だに大切にもってくれている話を聞くと、あの時、写真が趣味でよかったなと思います。
じゃあ、なぜやめたのか。
周りの人の影響ももちろんありましたが、わたしにはやりたいこと(好きなこと)が明確にありました。わたしは学生時代からカメラにはまっていました。絵や本、映画もとても好きで、それに関わりたいとも思っていました。でも、一度決めたら曲げない性格だったので、教員になる道以外考えもしませんでした。わたしはずっと教師になるために中学1年生からの時間を主に数学やバスケットボールに費やしてきたつもりでありながら、ふと思いつきで始めたことにどハマりした結果、『作品を作ること』を諦めきれていなかったみたいです。
進路相談をしていて、やりたいことを聞かないといけない場面が多々ありました。人生のほとんどを”学校”という場所をメインに過ごしているのだから、そんなのわからない子がいて当然です。高校生のうちからはっきりしている方が凄いし、分からないと悩んでいる子たちにも尊敬の念が尽きなかった。
たくさんの人たちの将来についての想いを聞き、わたしも本当にたくさんの想いを抱きました。人間、誰にでも必ずいいところがあります。しかし、自分自身の良さに気付いていなかったり、自分の好きなことをはっきりとわからない子、好きだと言えない子が多いことにも気が付きました。
例えば、自分の性格を考えるときに、自分のことを飽き性だと捉える人もいればそれを好奇心旺盛だと捉える人もいる。
自分のことを心配性だと捉える人もいればそれを真面目だと捉える人もいる。
自分の思考の癖をポジティブな方向にもっていくだけでいろんな見方が変わる。
それに気づけたのは生徒たちのおかげです。そしてそんな支えがあってようやくわたしも、自分と、向き合うことができました。
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ヨーイ、ドン。
人生一度きりらしいよ。やりたいことわかってるなら行動しようよ。さあ、わたしもみんなと同じように夢に向かってスタートしようと思いました。
教師ももちろんやりたいことだったし、1年間そのお仕事をしたことに後悔はありません。ただ、いろんな人のお話を聞いて、自分でも故意的に見えないようにしていた心底考えていることが、溢れ出てくるのもとてもナチュラルな事象だと思います。
ここからはこれからを特に見ていて欲しいので簡潔に。教師を辞めて、まずは友達が全くいない東京に行き、制作会社に入りました。カメラワークをすぐにでも学びたかったけど、得意だった”数字を扱うこと”を生かし、まずはアルゴリズムの解析やマーケティングに少し関わりつつ、現場に入らせてもらうようになりました。
はじめはADや制作スタッフとして現場に呼んでいただいていましたが、コツコツ経験を重ね、自分で企画から撮影、編集まで任せていただけることも増えました。
たくさんの現場に行き、たくさんの人に出会い、今は事務所に所属して俳優、モデル活動をしつつ、フリーランスでカメラマンをしています。
演者としてもずっとやりたかったバスケットボール関連のモデルのお仕事や、一言一句大事に扱う演技のお仕事もできるようになってきました。
泣きたくてしょうがなくてお風呂のお湯に混じるように真っ暗な中、気が済むまで泣いた夜も、隣の部屋の人に聞こえないようにクッションに向かって声が枯れるまで叫んだ時間も、貯金がないのに親に強がって「心配しないで大丈夫」って言った日も、とにかく経験がほしくて1分1秒を争うようなスケジューリングで動いた毎日も、全部全部、いつか過去が美化されて、笑い話にできるようにしてねって昔のわたしが日記に書いていました。
そして今、まだまだ未熟で、もちろん満足はしていませんが(きっと満足する日は来ないだろうと思いますが笑)こうやって大事な大事な出来事を文章にできるくらいの気持ちの余裕ができ、純粋にやりたいことを楽しめるようになってきました。
もっともっとお仕事をして、何歳からでも挑戦はしていいし、なりたい自分像が変わってもいい。そしてみんなにも元気だよーって伝わればいいな、って、綺麗事に聞こえるかもしれませんが、そう思います。
今誰と親しくしているか。今誰と疎遠になってしまったか。そもそも誰と出会ってきたか。
人の悩みの9割は人間関係だとたくさんの本に書いてあります。ただ、悩むということは、それに生かされてるということでもあると思います。
だから、仕事もプライベートも、関わる人によってかなりの影響を受ける。わたしは、”人は出会うべくタイミングで出会う”の言葉の意味をやっと、やっと、やっと実感するようになりました。
人との出会いは転機。
運命的な出会いに感謝。出会ってくれたみんなも、同じ気持ちだったら幸せです。
おわりに、当時の写真コレクション。
淀川の近く 夕日が綺麗だった日。
バスケの大会、生徒たちが頑張って試合に勝ってくれて嬉しくて泣きながら笑った。
生徒がおもしろいお菓子を買ってきてくれた。
いつかの帰り道。何だったかは忘れたけどいいことがあってルンルンでこんな影さえも素敵に見えて思わず写真を撮った。
生徒とこの本の話で盛り上がった。
上京してはじめて見た中目黒の満開の桜。
生まれ変わっても同じ道を選んで同じ人たちに出会いたい。
撮影・文 彩雪