作家、代議士、都知事…多彩な生涯 石原慎太郎さん急逝
51 Photos国会議員や都知事を務めた作家の石原慎太郎さんが2月1日、89歳で急逝しました。
喧嘩上等と言わんばかりの歯に衣着せぬ「石原節」は世間に賛否両論を沸き起こしました。時には同士と仲違いすることもあったそうですが、ふとした瞬間に見せる満面の笑みにほだされる人も多かったとか。
令和の永田町は、事なかれ主義で曖昧な物言いしか出来ないセンセイばかり。退屈な国会をぼんやり眺めていると、慎太郎さんのように忖度無用で直言する「昭和の頑固オヤジ」と言える存在を懐かしく思います。
またひとり、昭和の個性派名士が逝ってしまいました。昭和は遠くになりにけり。合掌―
作家、代議士、都知事…多彩な生涯 石原慎太郎さん急逝
51 Photos国会議員や都知事を務めた作家の石原慎太郎さんが2月1日、89歳で急逝しました。
喧嘩上等と言わんばかりの歯に衣着せぬ「石原節」は世間に賛否両論を沸き起こしました。時には同士と仲違いすることもあったそうですが、ふとした瞬間に見せる満面の笑みにほだされる人も多かったとか。
令和の永田町は、事なかれ主義で曖昧な物言いしか出来ないセンセイばかり。退屈な国会をぼんやり眺めていると、慎太郎さんのように忖度無用で直言する「昭和の頑固オヤジ」と言える存在を懐かしく思います。
またひとり、昭和の個性派名士が逝ってしまいました。昭和は遠くになりにけり。合掌―




1986年6月21日、第38回衆院選の公示日を迎え、大田区大森で中曽根首相(当時)と共に街頭演説に臨む

1988年8月8日、自民党総裁選で海部氏に敗れる

1999年3月25日、初めての都知事選に臨む石原氏。都庁前で第一声


1999年4月1日、都知事選に初当選。選挙事務所でファミリーが勢揃い

1999年4月23日、初登庁する石原氏

青島前都知事(当時)と引き継ぎ


2000年11月30日、憲法審査会に参考人として招致される。後方には小池現都知事が

2005年10月2日、東京マラソン開催に関して基本合意し、河野洋平日本陸連会長(当時)と握手


2007年3月15日、東京・中野で開かれた「東京都知事選挙公開討論会」にて。候補者の中でただ一人、東京五輪招致に賛成の意を示す


2007年3月22日、都知事選告知日。3選に向けて立川で第一声


2007年4月8日、ゼロ打ちで3選当確。息子の伸晃氏、宏嵩氏と共に当選を祝う

2007年9月5日、参議院新清水谷議員宿舎建設予定地に、猪瀬副知事(当時)と視察

2007年10月1日、2016東京五輪招致に向け、みのもんた氏を大使に迎える

2008年7月28日、北京五輪日本代表選手団壮行会ではポケットに手を突っ込んだまま挨拶

2009年4月10日、第20回世界少年野球大会調印式にて王貞治氏と

2009年4月13日、2016東京五輪招致に向けた決起集会で挨拶

2009年4月19日、会合で小谷実可子さんと笑顔をみせる

2010年4月13日、新党「たちあがれ日本」結党会見

2011年2月18日、第144回芥川賞・直木賞贈呈式にて。「苦役列車」で芥川賞を受賞した西村賢太氏と

2011年3月11日、都議会本会議で都知事選出馬を表明


2011年3月24日、金町浄水場を視察


2011年4月10日、都知事選4選目を確実とし、選挙事務所で笑顔を見せる石原氏。宮根誠司氏のインタビューを受ける

2012年11月13日、「太陽の党」旗揚げ会見


2012年11月29日、東京都知事選挙に立候補した猪瀬直樹氏の応援演説に、橋下氏とのぞむ

2012年12月17日、衆院選・日本維新の会開票センターにて。自身の当選にサムアップ

記者の質問に苛立ちを見せる

2013年2月12日、党首討論で熱弁を振るう石原氏

安倍晋三首相(右・当時)に資料をしっかり見るようにと促す


2013年6月5日、参院選出馬表明したアントニオ猪木氏と

2013年6月6日、都内のホテルで開かれた日本維新の会政治資金パーティーにて

2014年5月29日、国会にて日本維新の会代議士会に臨む石原氏。維新の分党が騒がれる中、当時共同代表を務めていた石原氏は記者団に追われる

2014年6月26日、日本維新の会を分党して立ち上げられた「次世代の党」発表会見。石原氏は最高顧問に就任

2016年4月12日、石原氏が作詞、五木ひろし氏が作曲した「思い出の川」発表会

2016年5月19日、日本外国特派員協会で亀井氏と共に会見

2016年12月8日、亀井氏が主催するセミナーに出席


2017年3月3日、日本記者クラブで会見

2017年3月20日、豊洲市場をめぐる問題に関し、百条委員会による証人喚問にのぞむ

2018年12月18日、日本外国特派員協会にて会見