鉄・路をゆく第38回~下津井電鉄線廃線跡
28 Photos下津井電鉄下津井電鉄線は、かつて岡山県倉敷市の下津井駅とJR宇野線・本四備讃線の茶屋町駅間21キロを結んでいた単線電化路線。全国的にも珍しい軌間が狭いナローゲージ(762mm)
1970年代に入り道路網の整備などにより利用客が落ち込み、児島ー茶屋町間が1972(昭和47)年に部分廃止された。児島ー下津井間は瀬戸大橋開通後の観光需要を見込み観光鉄道として舵を切り、メルヘン調の車両「メリーベル号」を導入したが思うように乗客数が伸びず、1990(平成2)年末で77年の歴史に幕を閉じた。
現在廃線跡は整備され、歩行者・自転車専用の「風の道」として整備され中国自然歩道の一部となっている。
鉄・路をゆく第38回~下津井電鉄線廃線跡
28 Photos下津井電鉄下津井電鉄線は、かつて岡山県倉敷市の下津井駅とJR宇野線・本四備讃線の茶屋町駅間21キロを結んでいた単線電化路線。全国的にも珍しい軌間が狭いナローゲージ(762mm)
1970年代に入り道路網の整備などにより利用客が落ち込み、児島ー茶屋町間が1972(昭和47)年に部分廃止された。児島ー下津井間は瀬戸大橋開通後の観光需要を見込み観光鉄道として舵を切り、メルヘン調の車両「メリーベル号」を導入したが思うように乗客数が伸びず、1990(平成2)年末で77年の歴史に幕を閉じた。
現在廃線跡は整備され、歩行者・自転車専用の「風の道」として整備され中国自然歩道の一部となっている。

中国自然歩道の一部となっている旧下津井電鉄廃線跡を表す案内板

旧下津井電鉄児島駅舎。シャッターが下ろされているが、構内は金・土・日・祝祭日の日中は入ることができる

駅舎入口脇に設置された風の道オブジェ

奥に見えるドーム状の建物が旧児島駅跡

旧下津井電鉄下津井線の廃線跡は風の道として、1996(平成8)年に倉敷市によって歩行者・自転車専用道として整備された

廃線後レールは撤去され更地になったが、架線柱などは当時のまま残っている

ホームの跡がそのまま残っている阿津駅跡


東下津井駅と下津井駅間の大カーブを走行するモハ103+クハ24。1986年から1988年頃撮影

広々とした旧下津井駅構内


ホームには当時のままの駅名板が残る下津井駅

下津井駅に停車中のクハ24(左)とモハ1001赤いクレパス号(右)。右の建物が駅舎。1986年から1988年頃撮影

下津井駅北側に残された、旧線路跡を道路がまたぐ遺構

トンネル上部の道路から下津井駅発車した電車を望む。1986年から1988年頃撮影

旧下津井駅を訪れるためには、JR児島駅から鷲羽山ハイランドを経由し、旧下津井駅最寄りの下津井港前停から児島に戻る左回り循環する下電バスとこはい号を利用するのみ

電車保存会が制作・設置した下津井電鉄車両保存の活動

下津井駅構内を児島駅方を望む。下津井電鉄の特徴であったナローゲージと呼ばれる、軌間762mmの線路幅。線路幅が他の鉄道と比べて狭いのが分かる

下津井駅に停車中のモハ1001赤いクレパス号。1983年に旅客誘致策に一環として、車両の内外どこにでも自由に乗客が落書きができる「落書き電車」が有名に。1986年から1988年頃撮影

容赦なく落書きがされていた、赤いクレパス号の行先表示板(サボ)。1986年から1988年頃撮影

現在旧下津井駅構内に保存されている元赤いクレパス号(左)。落書きはすべて上塗りされ、車両外に面影は残っていない

外から見える車内には一部落書きが残っている元赤いクレパス号

構内に保存されている旧車の数々

正面奥に見える赤い電車は、1988年に下津井電鉄最後の新車として導入され、「メリーベル号」の愛称がつけられていた。モハ2001と中間車サハ2201、クハ2101の3両編成。しかし導入後3年ほどで廃線となったことにより廃車となった

旧下津井駅から50メートルも歩くと、先に瀬戸大橋を望む下津井港が現れる

瀬戸大橋(下津井瀬戸大橋)を通過する快速マリンライナー

旧下津井駅舎前に建てられている下津井電鉄初代社長の白川友一氏の像

旧下津井駅構内に置かれた車両群。今後の車両保存状態が気になるところである